第2回
奈良街道・五ヶ庄を歩く


 京都と奈良とを結ぶ道は、豊臣秀吉により巨椋池に堤が築かれるまで、宇治橋を経由する奈良街道がメインでした。古代からの歴史を持つこの道の中でも、最も早くから栄えたのが五ヶ庄周辺。そこで今回、隠元橋畔から東へと、散策してみることに。

 許波多(こはた)神社は、大化の改新と同じ頃の創建。もとは萬福寺後方の柳山にありましたが、明治9年、陸軍火薬庫の増設のため、御旅所のあった当地へ移されました。大海人皇子が壬申の乱の戦勝を祈願し、また古くから馬場で競馬が行われていたことから、勝運・競馬の神。平安時代の鐙(あぶみ)(重文)も伝えられています。  薬師如来坐像・毘沙門天立像(共に重文)で有名な西導寺を経て、二子塚古墳へ。この古墳、今は前方部しか残っていませんが、実は、仁徳天皇陵など少数の古墳にしか見られない二重濠を巡らした、巨大な前方後円墳でした。6世紀・継体天皇の時代、山城地域で勢力をふるった豪族の長の墓と考えられています。 住宅地を縫い少し南へ行けば、児童公園の前に荒縄地蔵が。かつてオコリ(マラリア)にかかったら、この地蔵様を荒縄で縛って治癒祈願をし、全快したら縄をほどいたとか。ここからJR線路沿いの旧奈良街道に出て、広芝の辻を左へ折れれば西方寺(弥陀次郎さん)。庭園には二子塚古墳の石室だったという巨岩を配し、古墳の竹薮を背に、五ヶ庄に別業を営んだ岡谷関白・近衛兼経の墓があります。

 線路を東へ渡れば数分で、黄檗宗大本山の萬福寺です。江戸時代、隠元禅師が創建。建造物、儀式作法とも中国明代の形式を継承し、伽藍全体が大陸的な異国情緒に溢れています。「天王殿」には京都七福神の布袋様(弥勒菩薩の化身/表紙)を安置。中国風の装飾が華やかな「伽藍堂」には、伽藍を守護する華光菩薩像の前に、中国三国志の英雄・関羽の像が。関帝君(表紙)として、特に華僑の人々の間で商売繁盛の信仰を集めています。他にも、達磨大師像、卍や卍崩しの勾欄、音を鳴らして食事時間を告げる魚の形の開版(かいばん)(木魚の原型)、柱に掛かる聯などなど、萬福寺には、とにかく発見がいっぱい!自分の目で確かめてみて。  ちなみに毎月8日は「ほていさん」の日で、入山料が無料になります。

 最後にみみずく地蔵で願掛け。

頭を撫で、耳元で願い事をささやきましょう。

 

※許波多神社・西導寺については、

 拝観ご希望の場合、直接お問い合わせ下さい。


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